2011年にカフェを巡り初めて13年が経った。
この間に訪れたカフェは800件近くになるが、今回紹介するリリーは、忘れえぬカフェとなった。
階段を降りるとひんやりしている。釧路のビルの地下。
AM8:00開店と書いてあるものの、10時になっても店内は暗いままで営業している様子はない。
どうしたものかと暫く困っていると老婆のマスターがやってきた。
寒いので陽にあたっていたのだそう。釧路の夏は夏でも暑くない。
ボクが店内に入り、電気をつけてくれた。
店内は広く、がらんとした様子。寂しい喫茶店だなと思ったが、明かりに照らされたカウンターはオーセンティックバーのような重厚感で、どうも様子が違う。
店内をよく見てみると、古ぼけてはいるが造りのよさを感じるドアやカウンター、ボックス席だ。
ライブ演奏ができるスペースと設備もある。そして、壁一面のタンチョウの大きなレリーフはここが釧路であることを誇っているかのようだ。
年季は入っているが、店内はしっかりとした喫茶店。
だがボク以外の客はいない。店内にBGMはなく、しんとしている。
実は釧路の喫茶店の名店だった。
83歳の老婆が1人で守る喫茶店。
昭和10年、1935年創業。89年も続けている。
老婆の旦那さんのお父さんが戦前に創業した喫茶店で、当時はアルゼンチンタンゴを楽しむ会が結成されるなど賑やかだったらしい。
2代目は老婆の旦那さん。お名前は工藤武志さん。釧路の喫茶店文化発展に大きく貢献された方。
当時流行っていた「喫茶店」。釧路にも本格的な喫茶店をと決心し、昭和42年の道路拡張を機に現在のビルに引っ越した。
精力的に活動されてきたが、武志さんは33年前に亡られ、それ以後3代目として、文字通り「店を守って」きた。
昭和42年の移転時から店内は何一つ変えていない。
もう何回もやめようと思ったの。でも、お父さんが作ったお店だし、自分のお店だからさ。
体もしんどいんだけどさ。
お見合いで結婚してね。。。と老婆はつぶやく。
結婚してからは、ずっと喫茶店なの。
当時は喫茶店がすごく流行っててね、最盛期はバーテン2人にウェイトレス7人も雇ってたの。
私ホントは、お嫁に行っても、習い事とかしたかったんだけど、店が忙しいからって、もうずっとこのお店のことばかりだったの。と懐かしそうに微笑みながら話してくれた。
喫茶店のこと、子供のこと、ビルのこと、などなど、
ふらりとやってきたボクに多くのことを聞かせてくれた。
老婆の半生だ。当時の時代背景も思い起こされる。
リリーに居ながらに話を聞くと、昭和40-50年代の喫茶店ブームの盛況振りもリアルに想像できる。
だが今この喫茶店にはボク以外、誰もいない。
老婆の心づくしのフルーツパフェを食べ珈琲を飲んでいるだけだ。
「ただ、いっさいは過ぎていきます」
ふと太宰の一節を思い出した。
気づけば老婆の話を1時間近くも聞いていた。
別に苦はない。むしろこのように出会えてよかったと思っている。
もう一度リリーを訪れて、老婆と話す機会があるのか。まだ分からない。
しかしボクが思えばそれはできる。二回目はあるだろうか。
老婆は最後に
「いい顔してらっしゃるものね」
と言ってくれた。
言われたことは素直に嬉しかった。
あなたが生きていて、この喫茶店があるうちに、また行きますね。















| URL | https://peraichi.com/landing_pages/view/lilykushiro/ |
| Address | 北海道釧路市北大通4-6 |
| More | ◆食べログ https://tabelog.com/hokkaido/A0112/A011201/1020520/ ◆朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20180820010500001.html |
| Notices | 2024/08/24 |
